北九州市の乾燥性敏感肌ケア専門 / 素肌律・スキンケア
言葉にできないモヤモヤ感
先日、「鶏の骨で作る標本ワークショップ」というイベントを見かけました。
理科の授業や博物館展示のように、骨を観察したり組み立てたりする企画のようです。
でも正直、私はモヤっとしてしまいました。
違和感の正体は「命を物として扱う」感覚
このモヤモヤ感は、どこからくるものか?としばし考えてみました。
それは多分、「教育だからOK」とか「アートだからOK」という以前に、命との向き合い方がとても軽く見えてしまったからだと思います。
食卓に当たり前にある鶏の骨を使っての楽しい工作・・・という流れの表現。
骨は、その命の証です。
生きていた時は温かく、呼吸をし、目を輝かせていた体の一部です。
鶏も、私たちと同じように生きていたんですよね。
もちろん、このワークショップは学びや観察の意味もあると思います。
動物の体の仕組みを知ることは、理科の勉強として大事なことだと私も思います。
子供向けのイベントならなおのこと、そこには大人が「命への敬意」を子供に示すべきなのではないかと思ったんです。
でも、この場合は「他に被らない、夏休みの楽しい工作 ♡」として紹介されていました。
そこに私は、どうしても心のざわつきを感じたんです。
命を“素材”として扱うとき、その背景や経緯に思いを馳せる時間が省かれてしまうと、命はただの「物」になってしまうのではないでしょうか。
それは一歩間違えると、将来、興味本位の動物虐待に繋がることもあるのではないかと。
命と美しさの深い関係
私は長年、スキンケアの現場で多くの人の肌と向き合ってきました。
そこで気づいたのは、「美しさは単に外見の手入れだけでは作られない」ということです。
- どんな食材を選ぶか
- その背景にある環境を考える
- 命や素材への感謝の気持ち
これらの“見えない要素”が、その人の精神性に表れて、雰囲気の美しさに大きく影響していると感じました。
例えば、旬の野菜や丁寧に育てられた食材を食べた時と、大量生産され栄養が乏しい食材を食べ続けた時とでは、肌や精神に差が出てきます。
また、動物性タンパク質を摂るときも、その命がどのように育ち、どのように扱われたのかを意識することで、感謝の気持ちや食べ方が変わります。
命に対する姿勢は、外見だけでなく、その人の“にじみ出る雰囲気”や“オーラ”にもつながっているんだなと思いました。
違和感が教えてくれたこと
鶏の骨の標本作りに感じた違和感は、私に「命とどう向き合うか」ということを改めて考えさせてくれました。
私自身が、命に敬意を払い、その価値を感じ取れる心を持ちたいと思います。
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